1992年に統一教会の合同結婚式に参加して注目を集めた勅使河原秀行さん。
テッシーの愛称で親しまれていましたが、婚約者の山崎浩子さんは脱会。
その後は別の方と結婚されました。
勅使河原秀行さんの結婚相手はどんな方なのでしょうか。
【勅使河原秀行】wikiプロフはこちら
- 名前:勅使河原秀行
- 生年月日:1963年
- 出身地:愛知県
- 学歴:京都大学
- 職業:元大和証券社員
勅使河原秀行さんは1992年に統一教会の合同結婚式で山崎浩子さんと婚約。
勅使河原(てしがわら)という名前から、テッシーとも呼ばれていました。
勅使河原氏は京都大学出身で、当時大手証券会社に勤めていたエリート。誠実そうな雰囲気もあって、テッシーという愛称が定着することとなりました
(引用:jisin.jp)
しかし山崎浩子さんは入籍直前に脱会。
勅使河原秀行さんの実際の結婚相手は別の女性です。
【勅使河原秀行】山崎浩子と28歳で婚約(1992年)
- 名前:山崎浩子
- 生年月日:1960年1月3日
- 出身地:鹿児島県
- 職業:元新体操選手
- ロサンゼルス五輪:個人総合8位入賞
元新体操の選手でオリンピックにも出場経験のある山崎浩子さん。
合同結婚式の相手として注目された勅使河原秀行さんとは1993年3月に入籍予定でした。
ところが入籍直前、山崎浩子さんは周囲の説得で統一教会を脱会しています。
入籍の直前、実姉が彼女を説得。さらに牧師も説得に加わったところ、山崎さんは『統一教会を辞めたい。でも、辞めたら殺されてしまう』と号泣。しかし脱会する方針を固めたため、家族が山崎さんを連れ出したところ、勅使河原さんは捜索願を出すことに
(引用:jisin.jp)
勅使河原秀行さんは山崎浩子さんと何度か面会して説得しましたが、山崎浩子さんは戻ってきませんでした。
【顔画像】勅使河原秀行の現在(2024)の結婚相手は住谷文子さん
勅使河原秀行さんは結局、1995年には別の女性と合同結婚式で再婚しています。
山崎浩子さんの事は直前まで諦めていなかったようですが教団の教えに従ったのでしょう。
勅使河原秀行さんのお相手は、住谷文子さんです。
【勅使河原秀行】奥さんの住谷文子さんの年齢は?
- 名前:住谷文子
- 生年月日:1968年頃
- 職業:世界家族芸術団・劇団員
報道によると、住谷文子さんの年齢は当時27歳。
勅使河原秀行さんより5歳年下です。
当時、統一教会で住谷文子さんと同じ部署にいたという方(脱会済)の証言があります。
Sさんは、支部のチャーチマザー(トップの女性)の霊の子でした。
飛んでる人でして・・・食口(統一教会信者)でありながら非原理(一般社会)でバンドを組んでおり、イカ天に出演しました。
(引用:ameblo.jp/nanakusa-1995)
【勅使河原秀行】結婚相手の住谷文子さんは特別扱い?
住谷文子さんが「幹部の娘」という情報もありますが、誤りです。
統一教会ではホームで団体生活を行い、責任者は男性の支部長と女性のマザーです。
つまり、支部の女性責任者が伝道した人という意味です。
統一教会信者が、単に趣味で一般社会でバンドを組むという事は有り得ません。
マザーの霊の子(女性責任者が伝道した人)という立場もあり、特別に便宜を図られていた可能性もあります。
【勅使河原秀行】住谷文子さんとの子供は4人
勅使河原秀行さんと住谷文子さんは、合同結婚式後はすぐに入籍し家庭を持ったようです。
当時の統一教会では、女性は30歳(33歳)以上にならないと家庭は持てませんでした。
ところが住谷文子さんは当時27歳だったので、特別扱いだと言えるでしょう。
そんな2人の間には子供が4人いると言われています。
統一教会では避妊は許されないので、子沢山になったのでしょうね。
子供たちの名前や性別など詳細は不明ですが、成人している可能性もあります。
まとめ
桜田淳子さんが参加した統一教会の結婚式で、一躍有名になった勅使河原秀行さん。
当時の相手とは破局しましたが、その後も信仰を続け同じ信仰を持つ女性と結婚しています。
優秀な人材なので、統一教会側も大切にしているのでしょうね。
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