いくつになっても可愛さを失わない素敵な女性、いしのようこさん。
7歳年上のお姉さんの石野真子さんも、いくつになっても可愛らしい方ですよね。
しかしお2人のご実家はとても複雑な事情があり、異母妹では?などの噂があります。
石野真子いしのようこ姉妹の実家について、実母と継母の噂について調べてみました。
【いしのようこ】実母と継母の噂について
まず、石野家には2人の母がいるという噂があるので、順を追って検証していきます。
【いしのようこ】実家の家業と家族
石野真子さん、陽子さんの実家は神戸市芦屋伊勢町にあり、ご両親と一緒に暮らしていました。
- 父親:良雄
- 母親:文子
- 長女:石野真子
- 次女:石野陽子
- 3女:石野敦子
こちらはお姉さんの石野真子さんが17歳で歌手デビューし、実家に帰省された時の様子です。
姉妹は7歳ずつ年が離れており、このとき陽子さん10歳、敦子さん3歳頃で、母親は文子さんです。
父親の良雄さんは皮革製品の会社を経営していて、当時大流行していたビーズバッグを制作していました。
姉妹も家業のお手伝いをしており、石野真子さんの門限が4時半、陽子さんの門限は4時だったそうです。
門限はお家の手伝いをさせるため、私を稼業の戦力と見てたから
ニッポン放送
【いしのようこ】母親は文子さん・石野弘子さん?
まず結論を言ってしまうと、以下の噂が出ているようです。
- ”いしのようこさん”と”石野真子”さんの母親→石野弘子さん
- 3女の敦子さんの母親→石野文子さん
つまり、3姉妹は異母姉妹と言われているわけですね。
そんな噂が広がった理由はコチラです。
3姉妹が異母姉妹と言われる理由とは?
当時「家族対抗歌合戦」という番組があり、一家揃って出場した際。
そのため一部のマスコミが「文子さんは継母」といった趣旨の報道をしたという情報があり、それが異母妹の噂の出どころのようです。
石野弘子さんが実母であるか?はわからない
しかし、当時の報道内容がどれだけ確証のあるものだったのかについては資料が見つからず、確認ができませんでした。
石野弘子さんが離婚し、文子さんが後妻だとしたら、なぜ今も石野弘子さんが石野姓なのか不思議です。
また、3姉妹は「腹違い」にしては顔立ちがソックリすぎる気もします。
石野真子さんも、継母疑惑については強く否定しています。
全部同じ親です
石野弘子さんの顔画像とプロフィールはこちら
1970 :クチュールJARDIN設立
出典:石野弘子HP夢舞
1972 :パリ留学(立体裁断他)
1980 :NHKで”神宮モードを今に”が放映
1985: 夢舞ブランド設立
1998: NDKデザイン賞他受賞多数有
現在 :日本デザイン文化協会(NDK理事)理事
【いしのようこ】母親が事務所マネージャーと結婚
どちらにしても、石野真子さんが芸能界デビューした後、文子さんと良雄さんは離婚しています。
そして母親の文子さんは、石野真子さんのマネージャー小口健二さんと再婚。
プライベートでは2度の結婚・離婚に実家の焼失、さらに母親と担当マネジャーの再婚など穏やかならざる日々が続いたが、35周年を迎えた今、再びアイドル時代と同じように各地のファンのもとを記念ツアーで訪れている。
引用:2013年アサ芸プラス
【いしのようこ】母:文子さんの離婚の原因は?
あなたは歌手に向いている
と、いつも石野真子さんを応援し、励ましていた母の文子さん。
石野真子さんが高2で歌手デビューした際も、一緒に上京し付き添っています。
多忙な石野真子さんを車で送迎もされており、マネージャーとの接点は多かったでしょう。
【いしのようこ】母:文子さんの再婚相手とは
では文子さんの再婚相手である小口健二さんとはどんな方なのでしょうか?
石野真子さんはデビュー当時、芸能界最大手と言われる芸能プロダクションバーニングに所属しており、小口健二氏はバーニングの凄腕マネージャーと呼ばれる人物でした。
小口健二氏の来歴はコチラ
大学卒業後にバーニングプロダクションに入社。 そして郷ひろみをジャニーズ事務所から引き抜いてマネージメントした。 1982年に独立し、フロム・ファーストプロダクションを設立。本木雅弘、竹中直人、高岡早紀、北村一輝ら多くの俳優、タレントを育てた。2007年11月29日、糖尿病のため59歳で死去。多数のタレントを抱える情深い社長として知られていた。
引用:Wikipedia
小口健二氏がバーニングから独立してフロムファーストを設立した時は34歳。
59歳で亡くなった後は小口文子さんが社長を努めています。
【いしのようこ】母親(小口文子)が3姉妹の芸能活動をサポート
石野真子さんはデビューして3年後、1981年に長渕剛さんと結婚し芸能界を引退します。
ところが、2年後には長渕剛さんのDVが原因で離婚。
それと同時に芸能界に復帰した石野真子さんですが、所属事務所はフロムファーストでした。
石野真子さんの復帰にあたって、元所属事務所のバーニングからは色々と難しい条件が出されたそうです。
母親の小口文子さんが、石野真子さんの復帰のためにフロムファーストを立ち上げたとも考えられます。
引用:Wikipedia
- 略称:フロム・ファースト
- 設立:1982年
- 事業内容:芸能事務所
- 代表者代表取締役 :小口文子
- 初代社長:小口健二
【いしのようこ】歌手デビュー
そして、石野陽子さんも1985年に「フロムファースト」所属で歌手デビューされています。
お姉さんと同じ17歳の時ですね。
ですが、いしのようこさんはその後「フロムファースト」を離れ、「グランドスラム」所属になってます。
また、いしのようこさんは結婚はせず、パートナーとは事実婚という形を貫いています。
「結婚に夢見てない」「子供も欲しくない」
10代の頃に母親が離婚して芸能事務所のマネージャーと再婚した、という事も影響しているのかもしれません。
三女【石野敦子】芸能界デビュー
そして3女の石野敦子さんも「フロムファースト」所属でデビューされています。
後に「宝乃純」(たからのじゅん)という芸名になりましたが、現在は芸能活動はされていないようです。
まとめ
石野真子さんは2021年に「徹子の部屋」に出演された際に「両親は元気で一緒に暮らしています」と答えていました。
想像ですが、文子さんが3姉妹の実母で、お父さんと一緒に暮らしている方は再婚された相手なのかもしれませんね。
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