メジャーリーグで大活躍中の大谷翔平さん。
大谷翔平さんのお父さんは一体どんな方なのか気になる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
大谷翔平さんのお父さんの職業や、経歴について調査しました。
【大谷翔平】父親の職業はこちら
- 名前:大谷徹(とおる)
- 生年月日:1962年
- 出身地:岩手県上北市和賀町
- 身長:182cm
- 学歴:岩手県立黒沢尻工業高等学校卒業
大谷翔平さんのお父さんは、岩手のトヨタ自動車東日本の製造ラインで2交代で働いていました。
2016年に退職された後は、岩手の中学硬式野球クラブ「金ヶ崎リトルシニア」の監督をされています。
【大谷翔平】父親の経歴はこちら
大谷翔平さんのお父さんは、岩手の高校を卒業後、横浜で社会人野球選手として活躍されました。
- 1980年(18歳) 三菱重工横浜野球部入団
- 1986年(24歳) 引退→内部事務(プログラミング)
- 1988年(26歳) 長男(龍太)誕生
- 1991年(31歳) 関東自動車工業(トヨタ自動車東日本)に転職
- 1992年(32歳) 長女誕生
- 1993年(33歳) 岩手県に転居(関東自動車工業・岩手へ移動)
- 1994年(34歳) 次男(翔平)誕生
- 2014年(52歳) 金ケ崎リトルシニア(中学硬式野球クラブ)設立
- 2016年(54歳) トヨタ自動車東日本退職
【大谷翔平】父親の退職理由は?
大谷翔平さんのお父さんが定年前にトヨタ自動車東日本を退職した理由はコチラ。
金ヶ崎リトルシニアは創部3年目(2017年)で全国大会にも出場しています。
大谷徹さんの指導理念はこちら。
礼儀やあいさつは徹底している。勝利は二の次
野球のルールや基礎の指導に力を入れているのだそう。
【大谷翔平】父親は社会人野球チームで活躍
大谷徹さんは小さい頃から野球が好きで、父親が勤める工場のレクリエーションでも野球をやっていました。
しかし、丸坊主になるのが嫌で中学校では陸上部に入部しました。
【大谷翔平の父】中学時代は陸上部から野球部へ
大谷徹さんは中学2年生の時に、3種競技(100メートル走、走り高跳び、砲丸投げ)で県大会で入賞。
しかし1位になれないのが悔しくて、野球部に転向。
エースで4番打者として活躍しました。
【大谷翔平の父】高校では外野手
お父さんは、野球の強豪校である黒沢尻工業高校にスカウトされます。
ところが黒沢尻工業高校はエースで4番の選手ばかりで、大谷徹さんは外野手でした。
打者としては1,3,5番として活躍しましたが、甲子園には出場出来ませんでした。
【大谷翔平の父】社会人野球選手は1年で引退
大谷徹さんは高校卒業後は、三菱重工横浜野球部に入団されました。
ところが、1年目で肩を故障し26歳で引退。
本当はプロ野球選手になりたかった。
と語っています。
【大谷翔平の父】結婚し岩手へ転居
お父さんは引退後は三菱重工バトミントン部の加代子さんと結婚しています。
野球部を引退後は、事務仕事で、プログラミングの勉強などもしていたそうです。
しかし、7年後に岩手工場建設予定のあった関東自動車工業(現トヨタ自動車東日本)に転職。
つまり、地元の岩手に帰るために転職をされた事になります。
【大谷翔平の父】岩手に戻った理由とは?
- 長男として後を継ぐため
- 子供に野球をさせるには岩手の方がいい
- 神奈川県より一軒家を安く建てられる
など、将来を考えての事だったそうです。
大谷翔平さんは、岩手で誕生しています。
【大谷翔平の父】職業は自動車ボディメーカーの製造ライン
大谷徹さんは岩手では自動車ボディメーカー(トヨタ自動車東日本)に、2016年まで勤務。
仕事の内容はこちら
- 車体を造る過程のライン
- 勤務は昼夜2交代制
- 昼の部は午前8時から夕方5時まで。夜は8時から朝5時まで
2交代の仕事を続けながら、大谷翔平さんが所属する野球チームの監督も続けていました。
バッティングの基本的なことは、すべて父から教わった
と、大谷翔平さんは語っています。
【大谷翔平の父】監督やコーチとして
お兄さんの大谷龍太さんに対しては後悔があるというお父さん。
当時の私は、仕事が忙しくて龍太に対して手取り足取り野球を教えてあげられなかった。
その分、大谷翔平さんには一生懸命、野球を教えてあげようと思ったのだそうです。
大谷翔平さんは小3で硬式リトルリーグのチームに入部しますが、お父さんはそのチームの監督をしています。
また、水沢南中学校時代に所属していた一関リトルシニアでも、お父さんはコーチでした。
お父さんは悔いが残らないように、夜勤明けでも一睡もせずに練習に向かったそうです。
【大谷翔平の父3つの教え】野球ノートで交換日記
大谷翔平さんにとってお父さんは、監督やコーチでした。
そんな2人は、小さな「野球ノート」で交換日記をされていたそうです。
内容はこちら
- お父さんがその日の評価やアドバイス
- 大谷翔平さんは試合での反省や今後の課題。
などを書いて、小学5年生頃まで続けたそうです。
そのノートにお父さんが毎回書いていた事3つがコチラ。
- 一生懸命元気に声を出す。
- 一生懸命キャッチボールをする
- 一生懸命走る
【大谷翔平】父親の教育方針まとめ
大谷翔平さんの両親によると、特に教育方針はなかったそうです。
ただ大切にしていたことはコチラ
- 家族一緒に御飯を食べ団らんの時間を大切にした
- 子供を叱らない
- 夫婦ケンカをしない
- 食器の片付けは自分でした
- おはよう、お休みの挨拶をした
家では野球の熱血指導はせず、一緒にお風呂に入るなどコミュニケーションを大切にされていたようです。
大谷翔平さんがメジャーリーグで大活躍出来ているのは、自己肯定感が強い為とも言われていますが、それは小さい頃に可愛がられて育ったからだと言われています。
まとめ
大谷翔平さんは、しっかりした素晴らしいご家庭で育ったようですね。
なかなか出来ない事ですが、見習いたい事も多いと感じます。
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